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厄落としの忘年会 [本編「~縁」(短編連作小説集)]

短編小説「縁」本編・23編目。
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28

アラフォー独身女子・小林和江の人生哲学。(7050字)

では、以下本文。

   ・・・

 夜が訪れが早く、冬が一番濃く感じられる季節。

 街を飾る派手なクリスマス・イルミネーションに脇目も振らず、小林和江は忘年会へと向かう。
 今回のお店はお値段ちょっと高め。女性客に大人気の、ヘルシーで繊細な味の和風料理を出すレストランだ。
 和江が幹事を引き受け、この店を選んだ。口の肥えた女友だちに自信を持ってお勧めできる。

 集まる女友だちは皆、和江と同じアラフォーで身軽な独身者か子どものいない既婚者だ。

 そう、子どもを持っている人は使えるお金の額も限られているだろうから、高めのお店には誘えない。そもそも夜、自由に出られないだろう。
 なので、子持ちとはやはり距離ができてしまうし、話題も合わなくなるのは女の世の常だ。

 ちなみに和江の周りには『子育てしながらフルタイムで働いている人』はいない。子どもを持っている人は皆、専業主婦かパート主婦だった。

 そんな子持ち彼女たちが和江らに対して度々放つ「自由でいいよね」という言葉――
 そこにはいろんな感情が込められている気がする。

 言葉通りにうらやましい気持ち、そして「子どもっていいよ」「子育ては大変だけど、幸せだよ」「寂しくない?」「老後、泣きを見るよ」と和江のような者を揶揄したい気持ち。

 それらが混ぜこぜになって、和江たちとの間に隙間を作っていく。いや、和江が勝手にそう思っているだけだが……。

 そこでふと、育児休暇中の四条理沙のことが頭をかすめた。

 実は職場を出る時、エレベータでそのダンナの四条静也と一緒になった。
 和江がそのエレベータに乗り込んだ時、四条静也は舌打ちが聞こえてくるかのような苦々しい顔をした。もちろんその表情はすぐに消えたけど、和江に対する嫌悪の空気をまとったままだった。

 それでも和江はいちおう声をかけた。
「奥さん、ご機嫌いかが?」

「……ええ、おかげさまで元気でやってます」
 四条静也は和江から微妙に視線をずらし、言葉少なげに答えた。
 これ以上は話しかけてくれるな、という態度がありありだった。

 そんな四条静也に、和江は社会人としての未熟さを感じた。和江だって自分を嫌う人間と乗り合わせるエレベータは気づまりで苦痛だ。

 ――今度からエレベータではなく、階段使おうかしら。ダイエットにもなるし。

 聞いた話では、四条静也は同僚とは一切つきあわず、いつもまっすぐ家に帰るという。職場の忘年会も欠席するらしい。

 思えば、その妻である育休中の四条理沙も、以前から職場の人間と打ち解けることなく、距離を置き、つきあいの場から身を引いていた。

 ――あの二人は『児童養護施設出身』らしいけど、自分たちは特別に苦労した人間、偉い人間とでも思っているのかしら? 

 夫婦そろってお高くとまり、職場の人間を蔑にしているようで、どうも虫が好かなかった。

 そんな彼らは安定した職に就き、若いうちに子どもを作り、世間が良しとする優等生的生き方をしている。

 早すぎる結婚は一部の者に眉をひそめられることもあるけれど、四条夫妻の場合、定年まで勤めれば、それなりの収入と年金が保障されるし、このままずっと家庭円満で、子育てでつまずかなければ、世間はあの二人を『幸福な勝者』と認定するだろう。

 今日、和江が会う女友だちの中にも、結婚し子どもを持つことを希望している未婚者がいる。

 が、30代後半になると婚活もだいぶ厳しくなるようだ。
 卵子の老化や妊娠率が落ちていくことについては男性にも知られるようになり、結婚条件としても悪く見られてしまう。

 和江はこの11月にあった同窓会を思い出す。
 そこでは、未婚の男性陣が仲間内でこんなことを口にしていたっけ――

『子ども欲しいなら、女はやっぱ30代前半までだよな。できれば20代?』
『うちの親も、嫁の条件にまず年齢を挙げていたな。孫の顔が見たいって』
『でも、20代女はやっぱ高根の花だよな』
『いや、まだオレたちだって、ぎりぎり30代だぜ。そこそこの収入あるし、希望を持とう』

 同窓会に来ていた連中は大手の企業にお勤めで、わりと高収入のようだ。
 というか同窓会にはそういうある程度恵まれた人しか来ない。

 そんなわけでハイスペックの未婚男性も集まったのだが、結婚するなら子どもも欲しいということで、元同級生である40近い和江たち独身女性は眼中にないようだった。

 むしろ秋波を送ってくるのは既婚者だ。不倫という火遊びがしたいのか、それとも配偶者に不満を抱え、結婚生活があまり幸せではないのか。
 どっちにしろ、こちらは不倫というリスクを背負ってまでおつきあいしたいとは思わない。

 気になる未婚男性陣の話は続いていた――

『どうする? オレらもう少しで40だぜ。40過ぎで未婚だと男の場合も敬遠されるって話だ』
『おかしい人扱いか』
『同じ40過ぎでもバツイチのほうが、かえってモテるらしいぞ』
『一度結婚したことがあるって、けっこう大きいみたいだな。ほかの女に選ばれたことがあるというお墨付きってやつ』
『じゃあ、とりあえず誰でいいから結婚しとくか~。ダメだったら離婚すればいいんだし』
『離婚するのも大変だって聞くぞ、タダじゃ別れられないし』
『つうか、そこまでして結婚したいか?』
『だよな~』
『ま、稼いだ給料渡して、自由と引き換えにするんだから、あまり妥協したくないよなあ』
『オレは給料、自分で管理するぜ。何で嫁さんから小遣いをもらう立場にさせられるんだ? 給料渡すとしても半分だな。女も働けっつうの。今はそういう時代だ』
『とにかく一生、束縛されるんだから、それなりの女でないとな~』
『とりあえずってな気持ちでつきあっても、面倒になっちゃって長続きしないしな』
『理想を求めて40突入、行っちゃいます?』
『いいんじゃねえの』

 会話に耳をそばだてていた和江も頷くところが多かった。「好きな人、一緒になりたい人がいるから結婚したい」なら分かるけど、「結婚したいけど相手がいない。だから妥協してでも相手を見つけなければ」という考え方に違和感を持っていた。

 と、和江がこんなことに思いを巡らすのも、この前、1か月ばかりつきあった彼氏と別れたせいかもれない。以前から付き合っていたセフレを妊娠させてしまい、そちらと籍を入れる羽目になってしまったと別れを切り出された。
 だらしない男だと早めに分かって良かったと、和江もすんなり応じた。

 結婚って難しい――最近になって、ようやく痛感するようになった。

 和江はあまり相手を束縛したくなかった。相手にとって、自分がいつも優先されるべき人間だとも思わないし、自分はそこまで上等な人間ではない。

 けど裏を返せば、和江も相手をいつも優先できないし、ほかの人たちとのつきあいも大切にしたいってことなのだ。恋愛最優先でいられるのは、ほんのひと時。

 それでも、おつきあいしているうちに情が移り、結婚なり同棲なりへ進むのか、そこまで行かずに別れるか、自然消滅するか……
 いや、もうひとつ『性関係を伴わない友だち関係になる』という道もある。

 別れるのではなく、友だちとして縁を続けていくのもありだと和江は思っているのだが、向こうはあわよくば性を伴う友だち関係、いわゆるセフレを望んだりするので、結局そこで終わってしまう。

 実はその別れた彼も、先日、妊娠させた女性と籍を入れたばかりだというのに誘ってきた。本当は今も和江のことが好きだ、本命は和江だったと。和江と別れたことを後悔していると。妊娠させたのは事故だったと。

 和江の心は冷えた。今度はこの私をセフレにするつもりかと。
 それでも――本当に私のことが好きならと――その元彼に言ってみた。

「奥さんがいること分かっていてそういう関係になると、こっちは奥さんから慰謝料請求されるリスクがあるの。妻の権利って強いのよ。それ知っていて誘っている? そんなリスクを私に背負われる気? 私のことを本気で想ってくれるなら離婚してから誘ってね」と。

 その後、元彼は二度と連絡してくることはなく、完全に縁が切れた。

 和江はその元彼の奥さんに同情した。女を蔑にする男は、奥さんも蔑にするだろう。
 ――あんな口だけの不誠実な男を人生の伴侶に選んでしまって、幸せにやっていけるのかしら?

『幸せ』といえば……和江は従姉のことを思い出す。

 専業主婦の従姉は『夫在宅ストレス症候群』にかかり、幸せそうには見えなかった。
 円形脱毛症になり、夫が帰宅すると胃が痛むというくらい夫婦関係が破たんしているのに、子どももいるし、自分に経済力がないため離婚はせず、ガマンして結婚生活を続けている。

 しかし従姉は夫への悪口を吐くものの、最後には自分を納得させるかのように「子どもがいるから幸せだ」と言う。

 が、無理にそう思おうとしているのではないかと、和江は穿った見方をしてしまう。子どもがいるのだから幸せでないといけないと思わされている気がした。

 それに、子どもはいずれ独立して離れていくだろう。その時も幸せでいられるのか?

 今の生活も、子どもがいるからこそ耐えられるのだろう。
 だが、耐えた先に幸福はあるのだろうか? 相手の存在が苦痛だというほどに朽ちた縁を修復し再生させることができるのか?

 従姉に限らず……自分に合いそうな相手と出会い、相手からも交際OKをもらい、恋愛し結婚まで行きつくのも大変なのに、さらにその先を続け、幸せに暮らしている人って、どのくらいいるのだろう?
 がんばった分の幸せを手に入れることができるのか?
 いや、その前に、人生を共にして幸せになれるような相手が見つかるのか?

 自分だって、元彼があれほどに不誠実な男だとは交際中は見抜けなかった。
 あまり相手を束縛しない和江は、浮気も気づかなかった。

 結局、甘く見られていたのだ。
 そう、もしかしたら自分は最初から元彼にとっての本命ではなかったのかもしれない。

 あれから、同窓会の未婚男性陣もこうこぼしていたっけ――

『まず結婚に至るまでの交際が大変だよな』
『婚活でそこそこ妥協して選んだ相手と3か月つきあってみたんだけど、結局ダメになっちゃって』
『オレが捧げた3か月分の休日を返せってな気分か?』
『妥協したにも関わらず、敗退か。婚活って疲れるよな』
『毎週のデートって結構キツイしな』
『そもそもキツイって思う時点で、その相手は違うんじゃないか』
『いや、月1くらいの交際ならOKなんだけど』
『そりゃ、それほど好きじゃないってことだろ。毎日でも会いたいっていうくらいの気持ちがなきゃな』
『この歳になると、そこまで熱くなれないんだよな』
『いや、どこかに熱くさせてくれる女がいるんじゃないか』
『そりゃ幻想』
『つうか、相手も熱くなってくれなきゃ成立しないだろ』
『何か難しいな』
『その先の結婚生活ももっと難しいぞ。既婚の奴ら見ていて、つくづく思う』
『人生の修行ってヤツ?』
『努力して努力して結婚してからも、また努力と我慢の連続か……』
『厳しいな』
『幸せになれるなら結婚したいけど、そうじゃない場合、とことん不幸になりそうだな』
『老後の孤独と。どっちが不幸かなあ』

 ――好き勝手なことを言っていた彼らだけど、愚痴っているわりには、今の独身生活に満足しているようにも見えた。

 だから、その生活を変えてまで結婚したいような相手がなかなか見つからず、縁を結ぶに至らないのだろう。
 老後の孤独を恐れて、今を犠牲にする生き方はできない。今をガマンしたところで、幸福な老後が約束されるわけでもない。

 そこでまた四条夫婦のことが和江の脳裏に浮かんできた。
 以前、20歳という若さで結婚した彼らに驚いたが、ある思いに至る。

 ――そうか、施設育ちの彼らは何も捨てるモノがなかったから、躊躇なく縁を結べたのかも。何もなかったからこそ、その縁を育てることに全力を注ぐことができたのかも……。

 あの二人がそれまで恵まれない環境にあっただろうことは和江でも想像がつく。

 そう、彼らは結んだ縁を守ることに必死で、自分たちの世界に閉じ籠っているようにも見える。
 お互いの依存度が高いため、結果、周囲の人間についてはおざなりにしてしまうのもしれない。

 そう考えると、虫が好かなかったはずの四条夫妻への気持ちが少し変わった。

 彼らもまた、世間でいう『優等生的生き方』をしているわけではないのだ。

 特定の人物に依存し、周囲との交流に消極的で、狭い世界に閉じ籠ることも世間は良しとしない。
 精神的にも経済的にも自立をし、世界を広く持ち、たくさんの友人がいて、多くの人と関わる生き方が、世間が出す合格点だ。

 だけど、世間など知ったことではない。お互い幸せなら、依存し合う生き方もありだ。

 皆、どこかに欠落を抱えている。それが当たり前。欠落を無理して埋めたところで幸せになれるとは限らない。

 なのに『欠落がない満点』を、人々は『普通』という言葉に置き換えてしまいがちだ。『普通であること=満点を目指すこと』に縛られ、息苦しさを感じている人は意外と多いのではないだろうか。

 改めて和江は思う。

 人生の伴侶を選ぶのに、慎重になるのは当然。今の生活に不満がなければなおさらだ。
 相手からも選ばれなければ成立しないのだから、結婚にたどり着くのは至難の業。

 けど、もしその難しい結婚ができたなら、ようやくつかんだその縁を何よりも大切にしようとするのではないかしら。お互い、蔑にすることもなく、されることもなく。

 逆にいえば、それほどに難しいのだから、結婚はできなくても仕方ない。

 それでも、世間が王道とする生き方からはみ出た者たちは何となく肩身が狭い。
 家族を持たない独身・未婚者は「孤独」「不幸」「かわいそう」と思わされている人がまだまだ多い気がする。
 同じく、友だちがいない人、恋愛しない人=恋人がいない人も。

 こういった人は、ややもすれば見下され、負け組と評され、劣等感を植え付けられる。

 さらに世間が良しとする価値観に逆らう者――例えば、恋愛や結婚したくない者、子どもが欲しくない者、恋人あるいは友だちを欲しない者は『普通ではない、おかしな人』『人間として問題がある』とされるか、あるいは『単なる強がり、負け惜しみ』と捉えられてしまう。

 人をカテゴライズし、何かとレベル分けしたいのが人間の世界だ。
 人々が押しつけてくる価値観『普通であること』から自分を守るのも大変である。

 ふと気づくと、もう店の前に着いていた。クリスマスの飾りは凝っているものの、和食レストランなので控えめでシックだ。この店のそういった雰囲気も気に入っている。

 そこへ一陣の冷たいビル風が吹いた。
 和江は思わず身を縮ませるも、すぐに背筋を伸ばす。
 今日はとことん飲もう。
 酒の肴に和江の――『つきあう前から、すでに相手の男にはセフレがいて、おまけにそっちの女を妊娠させてしまったので別れた』『その後も男は恥ずかしげもなく誘ってきた』という面白いネタがあるのだ。
 和江の話が一番盛り上がるに違いない。今夜のメインディッシュとなるだろう。

 ということで今年の和江のクリスマスは恋人なし。
 でも、それが何だと言うのだろう?

『クリスマスは恋人と過ごす』という習慣が根付いたのは1980年代。
 バレンタインデーと同じ、恋愛を利用する商業主義の社会が作り上げたものだ。

 大人になった今、派手なクリスマス・イルミネーションもケバいものにしか感じられなくなった。
 品がなく騒がしい光に溢れている街。まるで厚化粧した女のよう。

 その輝きはどこか押し付けがましく、地味でいることを許さない傲慢な空気を感じる。

 そんなクリスマスよりも、気の合う仲間とムカついたことをしゃべり倒し、気分をスッキリさせる忘年会のほうがいい。もうクリスマスにワクワクすることはなくなった。

 男との縁はいまいちだが、友だちの縁にはそこそこ恵まれている。

 過去の男を引きずらない。スパッと忘れて完全に縁を切る。
 合いそうもない縁にすがりつくつもりはない。

 この1年の厄落としをする忘年会は、和江にとって新しい縁を引き寄せる儀式でもあった。

 街を飾る過剰な光を視界の外に追い出し、店のドアを開ける。

 縁は無理して結ぶものでもない。縁はそう簡単に見つからない。
 見つけられたら儲けもの。その程度に思っておけばいい。

 ――いつか良い縁にめぐり会えますように。






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