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月見に思う丸いお腹 [本編「~縁」(短編連作小説集)]

短編小説「縁」本編・18編目
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28

専業主婦VS働くママ。というか静也VS女性職員および福田みすずの会議。
中秋の名月・お月見の由来、歴史など雑学満載。(3200字)

では、以下本文。

   ・・・

 枯れ落ち葉が目につくようになり、秋の気配が色濃くなっていく9月下旬。
 今日の○○市役所総務部広報課では、年に4回発行される市報誌『冬の号』の編集会議を行っていた。

 市報誌では市民から寄せられた意見や詩文なども載せることになっており、静也は『母への感謝』を綴ったある投稿を推した。

 その内容は――

「添加物の入った市販の駄菓子は体に良くないと、母親は毎日おやつを手作りしてくれた。今、自分が健康でいられるのは母のおかげだ」

 ――という心温まるもので、ほかのページで扱う『クリスマス用お菓子のレシピ』とリンクさせて構成してみてはどうかと提案してみた。

 しかし、この投稿を採用することに福田みすずが猛反対した。
「男女共同参画社会を目指す我が市は『働く母親』を応援する立場にある」
「毎日、子どもにおやつを手作りできる『働く母親』などいない。それは専業主婦にしかできない。なのに市報誌が、おやつを手作りする母親、つまり専業主婦を賛美するのはいかがなものか」
「おやつや料理に手をかけられない『働く母親』に罪悪感を与える」

 ――というようなことを弁舌滑らかにとうとうと述べる。

 まるで働く母親VS専業主婦という構図をわざと作り上げているかのようだ。
そんなことを思いつつ、静也はこう反論した。

「おやつを手作りしてくれる母親への感謝を取り上げることが、それができない『働く母親』を批判することになるんですか? 悪く受け取り過ぎです」

 そこへ、ほかの女性職員が茶々を入れてきた。
「毎日手作りって……暇じゃなきゃできませんよね」

 思わず静也はその女性職員を見やる。
「そこまで専業主婦を見下しますか?」

 会議室がシンとなり、微かな緊張感が漂う。
 が、女性職員はしれっと言い返した。

「四条さんったら悪く受け取りすぎです。事実を言っただけです。実際『働くママ』は忙しいんですから」
「……」

 黙り込んだ静也に、女性職員はさらにこんなことを訊いてきた。

「四条さんの奥さん、今、産休でしょ。ってことは、ずっと働くつもりなんですよね?」
「まあ……今のところ、その予定ですが。それが何か?」

「四条さんは奥さんに毎日の手作りおやつを強要するんですか?」
「しませんよ」

「でも四条さんが『毎日おやつを手作りしているママ』を持ち上げたら、奥さんはどう感じるかしら?」
「……」

「褒めるということは、それをしていない人を暗に批判していることになるんですよ」
「ならば、皆、他者を一切称賛できなくなります」

「大げさですね」
「大げさに捉えているのはそっちでしょ」

 静也はつい熱くなってしまった。女性職員の言い分は揚げ足取りもいいところだ。

 と、ここでのんびりした口調で黒野が割って入ってきた。

「毎日、おやつを手作りしている専業主婦も少ないんじゃないか。つまりレアケースだろ。レアケースなら『働くママ』とやらを追い詰めることにはならないんじゃないかなあ」

 暗に静也の肩を持ってくれたようだが、再び、みすずが論争に加わる。

「働くお母さんができないことを取り上げ、それを賛美する空気を作るべきじゃありません。そういった空気があるから『働くママ』の社会進出が進まず、女性の権利が損なわれるんですよ」

 こうして喧々諤々の議論が展開されて、結局――誰かを追い詰めたり不快にさせるような内容の投稿は見合わせようということになった。

「……息苦しい世の中だな」
 会議室から戻り、自分の席に着いた静也はふと漏らした。

 実は、静也の亡くなった母もおやつを手作りしてくれていた。
 なので何だか母を否定された気分になり、面白くなかった。

 ――専業主婦だった母の生き方は、誰かを追い詰め、不快にさせるのか?『働くママ』の足を引っ張り、褒め讃えてはいけない、認めてはいけない生き方なのか?

 だから会議の最後にこう言ってやった。

「では、これから『働く母親』を称賛する投稿も取り上げるべきではありませんね。専業主婦や子どもがいない人、結婚してない人など『ほかの生き方をしている女性』を追い詰め、不快にさせるということですから。それに専業主婦に対し『働け』と批判することにもなりますしね」

 静也の皮肉には誰も反論せず、ただ、やれやれという白けた空気が流れただけだった。

 ――だいたい『働くママ』の敵は小林主任みたいな人のことをいうんだろうに……。
 静也はもやもやした気持ちを抱えながら思う。

 ――要するに皆、自分と違う生き方をしている者や自分の意に沿わない生き方をしている者を認めたくないだけじゃないのか? 自分の生き方、あるいは自分が目指そうとする生き方が一番正しいと思いたいだけなのでは? そもそも家事育児は『働く』に入らないのか? 

 そんなことを考えていたら、後ろから黒野の声が降ってきた。

「ま、役所は市民からのクレームは避けたいし、事なかれ主義でいくしかないからな」

 静也は黙ったまま、黒野へ目をやる。

「自分の生き方に自信ないヤツや迷っているヤツがわりと多いのかもな」

 そう言うと黒野は、静也の肩を軽く叩き、自分の席に戻っていった。

 ――人間って狭量で面倒な生き物だな。
 静也はため息を漏らす。

 自分と違う生き方をしている人間とは距離を置くに限る。所詮、違う世界の人間とは分かり合えないのだ。
 だから自分も他人とはあまり関わらず壁を作って生きてきた。

 ――そうだ……何を熱くなっていたんだろう。女の生き方なんて、自分には関係ないことなのに。

 専業主婦だろうが働くママだろうが、勝手にやり合っていればいい。
 理沙がそれによって何か不利益を被るのでなければ、どうでもいい問題だ。

 その時、オレンジ色のやわらかい光が静也の視界に入る。
 ふと窓へ顔を向けると、黄昏た秋空に西日が輝いていた。

 ――今日の夜は月がよく見えそうだ。

 そう、今晩は十五夜。
 中秋の名月と謳われている旧暦8月15日は、新暦でいうと9月中旬に当たる。

 まん丸な月は、臨月に入っている理沙のまん丸なお腹を思わせる。
 ついでにお眠の時の『ふっくら』と『ぷっくり』の丸いお腹も……。
 ささくれていた静也の心が和む。

 十五夜の月見は、古代中国の『中秋節』が由来だ。

 その中秋節は、中国・周(紀元前1046~紀元前256年頃)の時代、豊作を願うため、帝が「春分の日」に太陽を祀り、「秋分の日」に月を祀っていたことから始まる。

 太陽と共に月も崇拝していたことで、月を愛でる行事が生まれ、それが日本の平安時代に伝えられたのだ。

 中国では月餅が供えられるが、日本では芋類の収穫の時期でもあるので里芋が供えられ、『芋名月』と呼んでいた。
 団子が供えられるようになったのは江戸時代からである。

 今夜の四条家の夕飯は里芋の煮っ転がし、そして和菓子好きな理沙のことだから月見団子も用意しているに違いない。

 幸福・健康・子宝に恵まれますようにとの願いが込められている月見団子と里芋――静也と理沙は子どもが無事に生まれてくることを願いながら、それらをいただくことになるだろう。

 月の神様の依り代・魔除けの意味もあるススキも欲しい。
 この辺には生えてないから、花屋に寄って買って帰ろうか……。

 静也の心は、お月見モードに入っていた。
 ――さっさと仕事を終わらせて、月を眺めながら家に帰ろう。






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